映画「We Are X」
X JAPAN、主にYOSHIKIさんの自伝というような印象のドキュメンタリー映画「We Are X」を見てきました。
ネタバレになる部分もあるため、「あ、見たくないわ」という方は、どうぞ、ブラウザなりアプリを閉じて頂く等で、離れて下さい(^^;
見て来たのは3月8日でしたが、早めに書いてネタバレになっても…、と思い、書くタイミングを見計らいつつ「もう1回行かれたら…!」と思っていたのですが、なかなか行かれない…(涙)。
と思って、サイトを見たら、GW中にほぼ地元(私の出身高校がある市。電車で20分くらい)の映画館で上映があるようなので、行ってきます!!
その時にもしかすると、こちらのブログを加筆するかもしれないし、しないかもしれないですが(^^;
その映画「We Are X」のトレーラーはこちら↓
映画の感想というより…。
私の色々な状況も混ざっての内容でもあり、とっても長い文章なので、ご了承頂いた上でお付き合い頂ければ幸いです。
◇存在してはいけない◇
もう、最初から最後まで、涙が止まりませんでした…。
「存在してはいけない」
もしかしたら、YOSHIKIさんはそんな風にずっと自分のことを思いながら生きて来たように感じ取れたからです。
私は今、カウンセラーの勉強をしています。
カウンセラーというか、心理学1本でお仕事に出来ている人は日本でも数%という状態のようですので、正確にはカウンセラー知識をどのように活かして生活をしていくか、仕事に繋げていくのか、というところから始めて行くのですが…。
心理学の中に「交流分析」というアプローチがあります。
この交流分析の考え方で「心理的ポジション」というものがあり、私たちがなりやすい、自分の基本的な心の状態、心の4つのスタンスがあります(下図参照)。
きっと、YOSHIKIさんは、お父様を自殺で亡くされて…、そしてhideさんやTAIJIさんの死など、大切な方々の死に直面をした時に強く、「I am NOT OK. You NOT OK.」の感覚を得てしまったのではないか、と感じました…。
「自分もダメだし、他人もダメだ。人間なんて救いようがない。
生きていたって、何もいいことなんてない。ダメなんだ。生きていてもダメなんだ。」
そう感じながら生きて来た部分があったのかもしれない…。
そう思えたら…。
どれだけ心の傷は深く、言葉では言い表せない気持ちで…、しかも小学生の頃から生きて来たのだろうと思うと、涙を止める方法が分からなくなるくらいに、涙が出てきました。
そして、「交流分析」には「禁止令」という考え方があります。
親が何を言ったか、ではなく、子供がどう捉えたか。
子供の気質+環境(親からの刺激)+子供自身の決断=禁止令
禁止令というのは、子供が親から受け取った、無言(非言語的)に発せられるメッセージで、「~であってはならない」「~してはいけない」という禁止的な内容を持つため、「禁止令」と呼ばれ、これは「言われたこと」ではなく、「子どもが感じ取ったこと」、無意識に「刷り込まれたもの」であり、親も本人も分かっていないものです。
人の人生は、親を含めて誰が何を言ったか、何が起きたか、ということでは決まりません。
その言われたこと、言われなくても察したことや感じた取ったことを「子供自身がどう捉えたか」で決まっていきます。
でも子供は世界も視野も狭く、判断も極端ですよね。
そして、子供が「自分はこう生きるのだ」と無意識に決めたものを「人生脚本」と呼び、人はその人生脚本を書き換えながら成長していくのですが、中にはそれが書き換えられないまま、年月が過ぎて行く人もいれば、なかなか書き換わらない部分もあります。
私が「これはYOSHIKIさんのことではないか…」と思った禁止令。
■存在してはいけない(Don't exist.)■
虐待、拒絶、親族の自殺など、深い絶望感を抱いている場合に見られる。
本人自身も自殺をしてしまったり、怪我や事故を起こすことが多い。
無謀なことをしやすい傾向にある。
これは正にYOSHIKIさんのことではないか。
講座を受けながら、ずっとYOSHIKIさんの姿が脳裏に浮かんでいました。
私はYOSHIKIさんのご著書、「佳樹」は読んでいないのですが…。
そしてX JAPAN…、というよりも、私はXが好きで、特にTAIJIさんが大好きで、TAIJIさん以外は目に入っていなかったので、正直、あまりYOSHIKIさんのことについてはあまりよく知らないため、自分が見たまま、感じたままの感覚でしかないのですが…。
それでもきっとYOSHIKIさんは「自分は存在していてはいけないのだ」「自分も他人もダメだ。この世界は絶望に満ちているんだ」という信念が無意識にあったように感じたんですよね…。
そのため、映画の中の様々なYOSHIKIさんの言葉から「やっぱりそうだったんだな…」と感じずにはいられませんでした。
どれだけ辛かったのだろう。どれだけ、傷つきながら、自分を傷つけながら生きて来たのだろう。
恐らくYOSHIKIさんは「I am NOT OK. You NOT OK.」と「I am NOT OK. You are OK.」を行ったり来たりで、他人を認める気持ちは持てても、自分のことを認める気持ちには、なかなかなれなかったのではないかと感じました。
きっと…。
「いつ死んでもいいんだから」と、《死ぬ覚悟》はあるだろうと思うんですよね…。
でも、なかなか「I am OK」という気持ちを持てるようなことが少なかったのかもしれない、って。
それでも、多くのファンがいて、多くの人に支持をされて…。
きっと…、憶測の域を出ませんが、彼は嬉しいようで「俺なんて、そんなことないのに!」と、他人を信じられなくなったり、生きた心地がしないで生きていた時期もあったのかもしれない、人気が集まれば集まるほど、辛く感じた時期もあったのかもしれない…。
そんな風にも受け取れてしまいました…。
その中でも、私が1つだけ気持ちが和んだこと。
今もYOSHIKIさんは、お父様が与えてくれたピアノ、お母様が与えてくれたドラムで、生きているということです。
複雑な気持ちはあるのだろうと思いますが、今でもステージでは、ご両親の心と共に立っているのではないかとさえ感じました。
間違いなく、そのご両親のお子さんなのだな。
複雑な気持ちは、ご両親への強い愛情あってこその反動、その愛情の強さと得られなかった愛情への飢餓の強さと思えたら…、本当に皮肉ではあるのですが…、本当はとても愛に溢れたご家族なのではないかと感じました。
なかなか…、人の気持ちは相手には伝わらない。自分の気持ちでさえ見えなくなってしまい、どうしていいのか、どこに行けばいいのか、分からなくなる。
人の笑顔も嘘なのではないかと思えてしまうことは、きっと誰にでもあるのでしょうけど...。
あまりにも強い、深い愛情を持つ故に苦しんだYOSHIKIさんの物語に、涙が止まりませんでした。
◇生きる覚悟◇
でも…。
天皇陛下御即位10年奉祝曲 "Anniversary"が、YOSHIKIさんに「生きる」ことの意味というか…、ずっと「I am NOT OK.」で生きて来たYOSHIKIさんに「I am OK.」と心から思えるようになれた、大きなきっかけを与えてくれたのではないかな、と思うんですよね…。
自分は「存在していい」のだ、と。
世の中から求められた、認められたという…、名誉以前の問題でもあり、名誉以上の大切な、とても大きなこと。
「存在してもいい」「生きていていい」という《許し》を、自分自身に与えることが出来た、大きなきっかけだったのだろうと思えて…。
だからこそ、この"Anniversary"は…、YOSHIKIさんにとっても"Anniversary"であり、起死回生のごとく、とても希望と生命力に溢れた曲に聴こえるのではないかと感じるのです。
そして、近年のX JAPANとしての活動。
気づけば、今でも変わらず長く自分を待ってくれ、信じてくれ、応援してくれ、笑顔でいてくれ、慕ってくれるファンが沢山いる。
以前は信じられなかったかもしれない笑顔が、きっと今のYOSHIKIさんには、何よりも大切で自分を支えてくれている、大きな糧であり、財産であり、光のような存在になっているのではないか。
そんな風に感じました。
きっと、ライブ会場でのYOSHIKIさんは「I am OK. You are OK.」でいてくれている。
だからこそ…、「Visual Japan Summit」は3日ともあの終演時間…(^^;
初日にしか行っていませんけども…、帰れなかったよ、私は(苦笑)。
あと。
私が今、一番大好きで心から応援しているバンドがDIR EN GREYで、特にギターの薫さんが(我ながら異常なくらいに)大好きなのですが、まさかスクリーンに出て、薫さんのコメントが流れるなんて、ビックリしました。
その中で印象的だったのは、YOSHIKIさんとDIR EN GREYのメンバーが「Xポーズ」で一緒に写真を撮っている時の、DIR EN GREYのメンバーの表情。
5人が5人とも、キッズのようなキラキラした目で、嬉しそうな笑顔だったことがとても印象的でした。
他の様々なミュージシャンの表情もそうでした。皆がとにかくYOSHIKIさんが大好きなんだな、と、ただその表情からだけでも沢山伝わってきました。
とにかく、ファンと一緒にいたい。音楽仲間と一緒にいたい。
自分は「いていい」んだ、「存在していい」んだ、「生きていて」いいんだ。
だから大好きな人たちと沢山の時間を過ごしたい。
そんな自己肯定感、他者肯定感に溢れているのが、今のYOSHIKIさんなのだろうと感じました。
きっと今のYOSHIKIさんは「死ぬ覚悟」以上に、「生きる覚悟」がある。
だからこそ、生命感に溢れた笑顔で、昔みたいなどこか寂しい笑顔ではないYOSHIKIさんが今いるのかもしれない。そんな風に思えました。
◇運命の人◇
そしてToshIさんの洗脳…。
私はToshIさんのご著書「洗脳」も、読んでいないのですが(^^;
以前、「しくじり先生」というテレビ番組で、辺見マリさんが「洗脳」されていた過去をカミングアウトした回がありました(概要はこちら→●)。
辺見マリさんの洗脳が解けたきっかけが、ToshIさんとほぼ同じでした。
いいように「ATM」のように扱われていて、その資金繰りが悪くなった時に、外界に出された。
ずっと、洗脳を受けていた組織から離れた世界で活動をすることで資金を稼ぐようになった結果、「あれ?おかしいぞ?」と気づくことが出来て、洗脳が解けたというところは全く同じなんだな、と思えました。
きっと、YOSHIKIさんに会ったことが、よい結果になったのかもしれない。
YOSHIKIさんもToshIさんのことを「メンバー」ではなく「友達」と表現していました。
そんなToshIさんも、YOSHIKIさんの身体の不調について、「友達としては心配だけど、メンバーとしては心配していない」と、ミュージシャンとしては絶大な信頼を置いているけども、友達としては体を大事にして欲しいと願っているのだろうと思えました。
きっとYOSHIKIさんとToshIさんは、「運命の人」同士なのでしょうね。
運命の人は異性とは限らないし、恋人関係であるとも限らない。
お二人はきっと、出会うべくして出会い、共に助け合いながら生きることが使命なのかもしれないですね。
なかなか…、そこまでの友達を持てている人は少ないと思いますし、「友情」という2文字では表現しつくせない、深く大きなものをお二人の様子からは感じました。
そして「しくじり先生」でも感じていることで、私自身の経験でもあるのですが…。
人は自分のマイナスの経験、ネガティブな感情が強い経験をあえて外に出すことで、カタルシス効果を得るのか、内面がスッキリしてきて、気持ちが晴れやかになるんですよね。
この「We Are X」は、もしかしたらYOSHIKIさんにとっての「しくじり先生」なのかな?とも思えました。
◇TAIJIさんへの想い◇
最後に、私がXを聴く大きなきっかけになった、大好きなベーシスト、TAIJIさんについて。
映画での内容にも触れていますが、その内容とは大きく離れる内容が多分に含まれます。こちらもご了承ください。
私がXを知ったのは、「BLUE BLOOD」の発売数ヶ月前のことでした。
何かのビデオ、多分「VOS」だったかもしれないのですが、他のバンドと一緒に収録されていた「VANISHING LOVE」「SADISTIC DESIRE」でXを初めて見聞きした時からずっと、TAIJIさんにしか目が行かないくらいに、TAIJIさんばかりを見ていました。
とにかくあんなに派手で、音がハッキリしているのに、他の楽器を邪魔しないベーシスト、音も姿も私の中のベーシストというイメージを大きく、そしていい意味で壊してくれて、とにかくどのバンドでもギタリストが大好きな私に「ベースだってカッコいい!」と思わせてくれ、さらにそのベースの音を追いかけていくと「バンドって、メロディもリズムもベースで決まるのか!」と気づかせてくれて、バンドのアンサンブルや音楽の深み、奥行きや立体感など、とにかく「音楽って面白い!」「バンドってすごい!」と思わせてくれた。
それがTAIJIさんのベースでした。
Xの脱退については…。
YOSHIKIさんは「言えない」と仰って下さいました。
本当に嬉しかった。「ありがとう」と思えて、やっぱり涙が出ました。
TAIJIさんが生前に残したご著書には脱退の理由について書かれていましたが…。
あの話が本当なのであれば、TAIJIさんは恐らく納得されていなかったと思うんです。でもやっぱり、あの話は…、ファンに誠実であろうとしても、世に出すものではなかったんじゃないかな?と、今の私は感じています…。
それでも。hideさんのご葬儀に出席した後、YOSHIKIさんに呼び出されて、何をしてもらったのか…。それも併せて書いてありました。
書いたことについての埋め合わせではなくて、「お願いだから、誤解しないで欲しい」と、TAIJIさんなりにYOSHIKIさんを想う気持ちが、そのような話も書かせたようには感じました。
TAIJIさんはずっと、YOSHIKIさんのことが大好きだったのだと思いますよ。
だからこそ、日産スタジアムで改めて一緒のステージに立てたことは、本当に嬉しかったし、光栄だと感じたのだと思います。
生前のTAIJIさんのブログ(リンクを貼らせて頂きました)。
2010年7月15日「かつての盟友」
2010年8月13日「X JAPANライブ参加」
2010年8月14日「再会の夜」
本当にTAIJIさん自身も嬉しかったのだろうと思えます。
私は、ファンになった中学生の頃から「ライブに行ってもいいけど、危ないからXだけはダメ!」と、行かせてもらうことが出来なかったんですよね。
そして高校生の時にTAIJIさんがXから脱退してしまい、X自体も聴かなくなりました。
LOUDNESSも中学生の頃から好きだったけど、TAIJIさんが加入された時のLOUDNESSはそれまでのLOUDNESSの音楽とは違ったバンドに聴こえていたので、好きになれなかったから、LOUDNESSも聴くのを止めてしまったし、ライブにも当然行きませんでした。
初めてライブでTAIJIさんにお会いできたのは、2005年頃じゃなかったかな…。
再結成されたD.T.Rのライブには全部行きました。
TAIJIさんのベースで一番カッコいいと感じた、楽曲の深みが強く感じられると思えたのが、D.T.Rだったので…。
でもやっぱり、私はXでTAIJIさんを知ったのもあるし、Xの楽曲でのTAIJIさんのベースラインはめっちゃくちゃカッコいいと今でも思っているため、日産スタジアムのライブにTAIJIさんが出演されると聞いて「とにかく同じ空間にいたい…!」と急いでチケットを確保して、2日間とも行くことが出来ました。
本当に嬉しかったです。やっとXでのTAIJIさんが生で見れた。
ファンには分からない、色んなことがあったのだろうと思いますが…。
本当に戻れてよかった。メンバーという意味ではなくて、心の拠り所として、場所が復活したのかもしれないと思えたら、戻れてよかったと思えたんですよね。
でも…。
2011年7月17日に、サイパンでTAIJIさんはご逝去されました。
あまりにも不可解で、状況も何もかもが整理できない、何かが隠ぺいされているようにも感じられる、「事故」「自殺」とは思えないような「事件」が起きてしまっているのではないかとさえ感じられる、そういう憶測を呼んでも致し方のないような展開に、ファンの私も戸惑い、怒りに震えることもありました。
そんな中、TAIJIさんの内縁の妻の赤塚友美さんが声を上げました。
今は外務省預かりとなった、TAIJIさんのサイパンでの死亡事故についての再検証を要望する署名活動を行っていました。上記サイトは、そのサイトです。
赤塚さんがツイッターで「署名活動の情報拡散のために、チラシ配布活動を行いたいので、手伝っていただけませんか?」と呼びかけたことをきっかけに「行きます!」とすぐに連絡をして、署名活動の情報拡散のお手伝いをさせて頂いていました。
それが4年前、2013年夏のことでした。
2016年の年末。やっと、外務省が耳を傾けてくれ、事件を預かって下さる運びとなったため、署名活動は終了していますが、事件解明はこれからです。
上記ツイッターアカウントは、チラシ配布活動で知り合った友達に手伝ってもらいながら、私が運営させて頂いているアカウントです。
bot(自動ツイート)発信にしていて、リプライなどの交流は基本的に行っていません。
理由としては、署名活動についてや、TAIJIさんの事件については、様々なご意見、お考えなどがあって然るべき話です。
そのため、たとえリプライであっても私個人の意見を発信する場にはせず、情報を見た方がそれぞれの気持ちでご判断をして、どのように動くのか、捉えるのか、他者の意見を踏まえずに考えて頂きたいと思っているためです。
また、私個人の考え・想い、憶測が、歪んだ事実として認識されてしまう可能性があることも、とても怖いことだと感じています。
そのため、リプライを頂いても、基本的には回答はしていません(目は通しています)。
ちなみに、赤塚さんには事後報告で「ネットでの情報拡散をしたいので」ということでお伝えしたところ、「サポーターアカウント」として、サイトでもご紹介を頂けています。
それとは、全く別の活動として。
TAIJIさんが天国に行ってしまった今、私たちファンは、TAIJIさんという共通点で集まれる場が、あまりありません(全くない訳ではなく、様々なサークル活動は存在しているはずです)。
いつまでも、サイパンでの死亡事故、亡くなってしまったことの話や署名活動についての発信ばかりではなく、他のバンド同様、ライブ前後やそれ以外でもファン同士が【TAIJIさんの音楽】という共通点を持って交流できる場所があってもいいんじゃないかな、と思うようになり、上記の活動を立ち上げました。
いろいろな邪推からなのか、ご批判も浴びましたが(苦笑)、諦めずに形にしていきたいと思っています。
現在も少しだけ活動はしていますが、まだまだ、遠く及ばない中、私も一緒に運営している友達も、日々の生活などがとっても大変で(苦笑)。
でもそこで私たちが自分を後回しにして無理をしてしまうと、きっとTAIJIさんに「嬉しいけど、無理までするな」と怒られそうですし、自分たちが無理をして苦しく感じてしまったら、息の長い活動に出来ないですよね。
まずは私たち自身が無理をせず、楽しめる活動にすることを第一にしているので、とってもスローペースでの活動ですが、息の長い活動にして、その長さで、TAIJIさんのことを多くの人に知ってもらえるような場所にもなっていきたいと感じています。
また、TAIJIさんの事務所主催、つまりはオフィシャルの場として、赤坂J ROCK Cafeにて、TAIJIさんの生誕50周年イベントが2016年7月に開催されたことも、私にはとっても嬉しく、「やっとここまで辿りつけた…!」と勝手ながら感じていて、我が身のように嬉しかったです。
そして。
2015年7月17日に、赤塚さんが出版された本です。
私は…、TAIJIさんが亡くなってしまって…、TAIJIさんは私に音楽の、バンドの、ロックの楽しさを教えてくれた、私の人生に楽しさと癒しと刺激を与えてくれた、本当に大切な存在だったので…、そしてあの事件の扱われ方には、全く納得できなかったんです。
私の大切な人の命を何だと思っているの?
人の命をそんなに軽く扱えること自体が理解できないし、そんな思いを他の人にも「仕方ない」と与えていいなんて理由はどこにもない!
我が身にも起きて欲しくないし、同じようなことが起きてしまった時に、悲しみが繰り返されることがあったら、TAIJIさんの命は何のために潰えてしまったことになるの?
TAIJIさんの命を尊重するためにも、絶対に再検証はして欲しい。
そう、強く思えたことと、何よりもTAIJIさんへの恩返しがしたかった。
TAIJIさんのためでも誰のためでもなく、私自身の気持ちの問題として、赤塚さんが声をあげた署名活動には自分が出来うる限りの協力をしてきたつもりです。
でも…。
映画「We Are X」の終盤に、YOSHIKIさんとToshIさんが、TAIJIさんのお墓を訪れた時に流れた、ラジオからのニュース。
TAIJIさんがサイパンで自殺を図って、亡くなった、というニュース…。
そうなんだよね…。
その死因が事実かどうか、まだ分からない。「自殺」とするには、不自然な要素が沢山あるからこそ、署名活動が起きたんだけども…。
でもね、そうなんだよ、別の事実があるの。
その死因が事実ではなかったとしても。
あのような報道がされたという事実はあって、それが…、起きたことの事実だとして、認識している人も多いだろうし、この映画で「自殺だったんだ…」と思う人も多かったんじゃないかと思うと…。
すごく、悔しかったんです。
だって「違うよ、自殺じゃないんだよ!」と、言える証拠がないんです。
だからといって「自殺です」とも言い切れる状況ではない、どう考えても。
だってなぜか検死さえもされていないんですよ?
だからこそ、再検証の要望を署名活動でお願いしたという経緯はあるのだけども…。
この署名活動についても、理解を求めるにも、なかなか複雑なんですよね…。
政治活動に思われることもありますし、TAIJIさんというミュージシャンの身に起きたことであっても、音楽活動とは言い切れないものでもあるので、チラシ配布活動をしている時にも、「この件では、うちとは関わらないでくれ」「協力は難しい」と言われたことも、結構ありますからね…。
でも、それは決して「酷い話」「理解されない話」ではないんですよ。
人には誰しも、自分の生活や立場というものがあります。
誰しも自分が一番可愛いんです。どんな立場の人でも、それは同じなんです。
そして自分が守らなければいけない存在を持つ人だっています。
本心と、その人の行動が必ずしも一致するとは限らないんですよね…。
だから、表出している結果だけで、物事を判断して欲しくないとは思っているんです。
なので誤解をして欲しくないし、「それ、誰が言った話?」「断ったの、どこの店?」など聞かれても…、正直「他の方にお願いすればいいか!」とすぐに思って他を探したため、誰にNG出されたかなんて全然覚えてないし(笑)、その対応が本心ではない可能性もある以上、無闇やたらに、興味本位で詮索しないで欲しいとも思っています。
それ同様、だからこそ…。
報道された事実として、その報道内容である表現を、「We Are X」で流すのは、私はとっても悔しかったけど、悔しかったけど、でも仕方ないんだなって思えて…。
だって、それが一番「公平」で偏りがない方法なんですもの。
仕方ない…、でも、その仕方なさもまた悔しかったんですよね…。
仕方なくないんだけど…、大人の事情の中でも「出来うる」精一杯だったのだろうと思うのが私にも精一杯でした…。
そして私はたまたま、恐らく他の方々よりは少しだけ近い場所で署名活動を見ていた。
そして、赤塚さんの話を直接伺う機会があっただけ(誤解を避けるために書きますが、赤塚さんと特別な話は全くしておらず、伺った話はすべてご著書に書かれています)。
だからこそ、恐らく他の方とは受ける印象が違ったのだろうとは思うのですが、私個人の感覚としては、悔しかったし、「何だか振り出しに戻った気分…」とも思えてしまって…。
改めて、TAIJIさんのサイパンでの事故について、内縁の妻の赤塚さんが書かれた本を紹介します。
もし、何かのご縁でこのブログに辿りついて、TAIJIさんが亡くなってしまった経緯について、また、晩年のTAIJIさんについて「知りたい」と思う方は、ぜひ、お読みください。
◇いつからでも大丈夫◇
改めて映画「We Are X」を見ての感想を。
誰でも悲しくて、悔しくて、苦しい。
そんな感情と闘いながら生きている。
それはどんな立場の人だって同じ。
それでも人はいつからでも、どんな環境からでも、やり直せる。
自分の生き方を変えること、見て行く方向を変えることが出来る。
きっかけは様々だけど、いつでもどんな時でも、自分を諦めないでいられる限り、そして、どんな自分であっても、自分に少しでもOKを出せる限り、誰でも楽しく生きられる。
沢山泣いて、沢山悲しく、悔しいシーンもあったけど。
人の人生って、分からないけど、決して捨てたもんじゃないですね。
そんな風に思えた映画でした。
またGWに見に行ってきます!
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