聖飢魔II 武道館ミサ「控訴」
2016年2月19日に聖飢魔IIのミサ(ライブのことですが)に行って来ました。
翌日がミサツアー最終日でもある「上告」なのですが、私は「控訴」のみで結審。
というか、その前提の死刑求刑ツアーにも行ってないのですが(^^;
私は聖飢魔IIが発端で、ハードロックやヘヴィメタルが好きになり、音楽の深みや楽しさ、アンサンブルの奥深さやバンドの楽器の役割などは、元Xなどのベーシスト、沢田泰司さんの音楽から感じ取って、音楽が生き甲斐になり、道を踏み外している懸念もあるくらいなのですが(^^;
その道の踏み外しっぷりが顕著に表れているのが、私のDIR EN GREYに関して傾ける情熱によく出ていると思いますので、適度な距離を置いて、遠目で眺めていただければと思います…。
話を聖飢魔IIに戻します。
聖飢魔IIは当初の予定通り、彼らのコンセプトに基づいて1999年に一旦解散をしています。
デビューが1985年なのもあり、約10年前に(色んな意味で)奇跡の期間限定再集結(再結成)があり、その10年前のツアーは全通したのですが、そのツアーの早い段階から「5年ごとにやるかもねー」なんて冗談で言っていたけど、小学校6年生の時から彼らを見ている身として「これ、本気で考えるだろうな…」と。
そして本当に5年ごとに再集結しているんですが、最初の再集結の時にだけいた、ギターのエース清水が私は大好きだったので、彼がいない2010年のツアーは4回、今回は19日の武道館のみ。
今回のミサツアーは行くつもりはなかったんだけども、聖飢魔IIはなかなか武道館でミサが行えないバンドでもあったので、武道館でのミサなら!と、友達がチケットを手配してくれたので、行って来ました。
本当にラッキーパターンで、エースの次に、でもそんなに大差なく好きだった、初期に脱退して、実質エースの代打的に戻ってきたようなジェイル大橋さん側、アリーナ前方席だったので、ジェイルさんのギターの音がしっかりと聴こえて嬉しかった!
ジェイルさんは聖飢魔II脱退後にアメリカに渡り、アメリカでもCats In Bootsというバンドでメジャーデビューを果たしていて。
バンドはあっという間に解散しちゃいましたが、アメリカに滞在していたのですが、聖飢魔IIのデビュー10年か結成10年か忘れたけど(笑)、それきっかけなのか、同時期に帰国して、活動の場を日本に移して。
日本に戻ってきた時、バンドでいえばTHE OUTSIDERSの頃にがっつりライブにも通って、ファンレターを書いたりしていた時期もあったりします。
まぁ、諸々あって(※やらかしたのではない、念のため)大橋さんのライブには行かなくなってしまったのですが、それでも彼のギターサウンド、ギタースタイルは好きだなぁ、と、素直に思っていますよ。
久しぶりに聴いた大橋さんのギターはやっぱりカッコよくて、音がキラキラしているような印象もあったし、ステージアクションも本当にカッコいい。
恐らく、彼にとって「控訴」でのミサが人生初の武道館の舞台だったはずで、気持ち良かったのかな、感慨深かったのかな、すごーくいい表情をしていて楽しそうに見えたのも、見ている側としても嬉しかったです。
お世辞抜きに本当にカッコよかったです。
そして、ミサは二部構成で、前半は2枚目のアルバム(第二教典と呼ばれています)「THE END OF THE CENTURY」の再現。
一緒に行った友達がそれに気づいてなくて、「え、もうここでこの曲?」って、アルバムと同じ曲順だよ?
それを指摘したら「えー、覚えてないですよー、復習してないしー」だって。
私も復習なんてしてないしっ(笑)。
が、自分のお年玉で初めて買ったアルバムがこの「THE END OF THE CENTURY」とその次のアルバム(第三教典)の「地獄より愛をこめて」なので、思い入れというか、深く記憶には残っていますよね。
第二部では、様々な時期の曲がプレイされたのですが、閣下が歌えば何でも聖飢魔IIになるとはいえ、やっぱりエースがいないステージっていうのは物足りないなぁ…。
が、武道館という会場なのに、なんと2階席にいた信者とも会話をしちゃう、会場規模を全く感じさせないいつも通りの進行、ステージ上での構成員(メンバーのことです)の楽しそうな活き活きとしたステージングは、やはり風格と余裕を感じさせるものでした。
それと、ステージの演出にはプロジェクションマッピングが採用されていたのですが、これが本当にすごかった…!
私は聖飢魔IIの照明がすっごく好きではあったけど、舞台演出、大道具などは「お金をかけていて凝っていてい豪華だな」という印象は合ったけども、それに対して美しさとかはあまり感じたことがなかったんですが、今回のプロジェクションマッピングを使った舞台演出は「今までとは全然違う…!」と、感動さえしました。
このような記事も見つけましたので、ご参照ください↓
そして、やっぱり閣下の説法(MCのことです)は心に響いたり、説得力があるものが多いのですよ。
私は特に、本活動の際には多感な中高生時代だったのもあり、やはりどこか閣下の言葉や構成員の言葉に育てられ、学校だったり、会社だったりの、独特の価値観に染まらずに要られた要素もあったように思います(って、うちの場合は母や祖母も世間の価値観と自身の価値観は違うという人だったので、聖飢魔IIの存在の影響だけで、今の私の考え方があるのではないのですが)。
私世代(アラフォー世代)が中学生の頃は、光GENJIが大ブームでしたね。当然興味がなく、その頃から聖飢魔II信者(ファンみたいなもの)でした。
所謂「マイノリティ」と呼ばれる立場にいることは、もう当たり前の私なので、特にそれがツライとか、おかしいとか、そういうことを感じたことがあまりなく、「私は私。他人は他人。それぞれが好きなものを採用すればいい」と13歳の頃には信じて疑っていなかったのですが、社会に出ると、それが通用しないことも多々あったりで「私は、さらにはうちの家族はおかしいんじゃないか?」と思って、苦しさを感じたことも、あったりはしましたが…。
が、「いやいや、やっぱりそれでよかったんだって。おかしさなんて、誰にでもあるし、皆が普通で、皆が特別。それぞれ違うのが当たり前なんだよ」と本気で思えるようになったのもあり、アラフォーになった今の方が、アラサーの頃よりアグレッシブでとがってきたのかもしれない、と我ながら感じています(苦笑)。
そんな私なので、こういう記事もやっぱり共感しかないのです↓
バンドを好きになるということは、彼らの生き様に共感することでもあると思えるんですよね…。って、公に見せる姿のどこまでを「生き様」としていいのかっていう疑問はありますが、答えはファン側が出せることではないので、自分がどこまでバンドに対して信頼をできるのか、ということでもあるのかな、とも思っています。
今はDIR EN GREYが大好きな私ですが、それでも心の中にいる「聖飢魔II」という存在は絶対的な存在で、もう特別枠なんだろうな、と。
「誰が何と言おうと、好きなものは好き。イヤなものはイヤ。」
そう自信を持って言える人でいられているのは、家族の影響だけではなく、間違いなく彼らの信者であったことも影響していると、自負しています。
さて。
また5年後(正確には4年後)に、悪魔は地獄から蘇るのでしょうか。
「聖なるものに飢えている 悪魔がIIび(再び)蘇る」
聖飢魔IIとは、そういう意味があるのですが、2つめのリンク記事の最後の言葉を、私も世間に対して投げかけたいと思わずにいられないのです…。
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